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論考-002 日本の公共空間における広場についての考察–石川栄耀・丹下健三・隈研吾–

西洋は「広場」で東洋は「道」——。

東洋では伝統的に市民が集まるような公共的な広場が作られてこなかったとされる。

もちろん、今日の日本では広場は街のなかに取り入れられており、ときには憩いの場として、ときには集会の場(かつての新宿駅西口地下広場のように)として機能している。

今回はその広場について石川栄耀、丹下健三隈研吾という三人の作った広場から考察する。

 

「石川栄耀」という名は丹下や隈と比べれば現代では知られたものではないかもしれない。

石川は日本の特に東京の都市計画に絶大な影響を与えた人物であり、日本において先駆的に「広場」を取り入れた人物でもある。

東京都の都市計画課長だった石川がつくらせたという1947年の『20年後の東京』という映画では、イギリスの衛生大臣が都市は紙のように、焼いて造り変えられるものだったら良かったと嘆いていたが、戦災で焼け野原になった東京にはそのチャンスが巡ってきたと指摘しているという。

そこで帝都東京には「友愛の都」、「楽しい都」、「太陽の都」という三つの計画目標が定められた。そして、この「友愛の都」を作るものとして「広場」が登場する。

この石川の作った広場は歌舞伎町、麻布十番、名古屋大須にあるが、その代表的なものが歌舞伎町のものである。

1920年代後半から石川は広場上の空地の創出を実践していったが、その石川の求めた広場とは、交通のための広場ではなく、人と人のつながりを促す市民の交歓のための広場だった。

石川はイギリスの都市計画家アンウィンの広場設計論を踏襲し、Terminal vistaの形成によるT字路『字路などのあるものを想定した。そうして作られたのが、戦後の新宿歌舞伎町のコマ劇前広場であった。石川の手によって日本にも西洋のような、人と人とのつながりの生まれるような広場・盛り場が作り出されたのである。

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Tarminal vistaの図*1

 丹下健三は世界的に有名な建築家であるが、彼もまた広場に関心を寄せた人物だった。特に後年の新宿の東京都庁舎では、都民広場という広場が設けられ、ここに彼の広場に対する思想が反映された。

丹下は丸の内の旧都庁舎を設計した際に、「シティ・ホール」という概念を問題提起的に用いている。ヨーロッパの中世都市では都市の中心に広場、教会、市庁舎があったと言い、広場と庁舎を兼ね備えたシティ・ホールを日本にも作ることが考えられたのである。

その旧都庁舎はコルビジェ風のピロティも取り入れ、建築的な評価も高かったが、使用上の不便さや他の庁舎の老朽化、分散などが問題となり、鈴木都政下で都庁舎の移転が決まった。

新宿に建てられることになった新都庁舎では、まさに丹下が丸の内の旧庁舎で提起したシティ・ホールの建設が目標とされ、そのための広場を持つものとして構想が練られた。そして、再び都庁舎を設計した丹下が生み出したのが都民広場である。

都民広場は都民の交流の場、自治意識を高める場として設置されている。同広場はサンピエトロ広場をモチーフにしており、周りに置かれた人形の像もそれを意識している。世界中の教徒や観光客が訪れるキリスト教の施設であるサンピエトロ広場のような広場が、東京の象徴たる都庁舎に併設されるものとしてふさわしいと考えられたのだった。

 

隈研吾は現在、日本で最も注目されている建築家の一人である。自然素材を活かした建築が特徴とされているが、彼の作った広場もまた特徴的なものだった。

新潟県長岡市に建設されたシティホールプラザ・アオーレ長岡。これも庁舎であり、広場的空間を持つものである。ただ、彼の広場は丹下のそれとはひと味違う。その名も「ナカドマ」(中土間)、全く西洋の権威的広場を感じさせない名称だが、実際にその空間は丹下のシティ・ホールのような広場とは異なっている。

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 アオーレ長岡のナカドマ(筆者撮影)

 全てを受け入れる日本の土間、土を固めて作られた「ナカドマ」が庁舎の目の前にある。丹下の新都庁舎の80年代末から90年代はコミュニティづくりのためのインフラ、ハコが作られる時代だったが、隈は反ハコ、反コンクリートを提唱し、その集大成としてアオーレ長岡を位置づけている。

西洋のものも含めた旧来の庁舎観にとらわれない、ナカドマ(広場)は幼稚園生や小学生にも利用され、自然と人の集まるような空間だという。ここに日本の広場のあり方の一つのヒントがありそうだ。

 

石川栄耀のころの、日本への広場の導入は、世界的建築家・丹下健三の手で庁舎空間にも取り入れられ、その日本的なあり方が隈研吾によって示されている。今後もこうした「広場」が庁舎などの公共空間に設置されていくだろうが、どのような思想のもと、どのような広場が生まれて行くのか、期待できる。

*1:西成典久「都市広場をめぐる石川栄耀の活動に関する研究」