論考‐004 「創られた伝統」と愛国精神

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Hutchinson. J. & Smith. A.(1994), Nationalism.とLSE通信課程教科書
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの授業の課題本なのでHutchinson. J. & Smith. A.(1994), Nationalism.を読み進めているが、ナショナリズム論の各著作や論文がまとめられており、勉強になる。日本の本では大澤真幸ナショナリズム論の名著50』を彷彿させる。
理非はさておき、愛国教育は今、日本でもホットな話題のようだ。
私も誰に教えられるわけでもなく高校時代は1868年~1945年の歌を少なくとも100曲以上は歌えたし、旧字の読み書きもできたし、教育勅語も軍人勅諭も幾度と読んだし、終戦の詔書も暗記していた程度には戦前文化に親しんでいたためか、それ以降、「ナショナリズム」には一際興味を持っていて、大学の卒論もナショナリズムをテーマに書いた。
日本では明治維新によって国民国家ができ、「文明開化」や「脱亜入欧」を行い、ちょんまげも切ったわけで、江戸時代までと明治以降の文化は一線を画する。文明開化に当たっては「散切り頭を叩いてみても、出るのはイカサマの音ばかり」と、反対する保守的な人も一定数いたわけである。そうした反対派の方が日本の伝統文化を守ってはいたと言えるが、結果的に文明開化のおかげで日本は明治後期に「一等国」になった。
江戸時代の歴史が大正時代に作りかえられたという話もあるように、西洋諸国同様、伝統は「創られた伝統」(Hobsbawm, E.)である場合が多い。さすれば、日本で「伝統的な日本の精神」とか言う場合には、実は150年前ぐらいからの「伝統」であったりするわけだ。
現在、日本が先進国であるのは、先人達の判断と努力あってのものなので、先人の精神に学ぶことは非常に有益なことだろう。しかし、その明治時代の新政府の精神とは、「日本を西欧の植民地にさせず、一等国とするためには伝統を捨ててでも富国強兵を行う」ということではなかったか。謙虚に西欧諸国に学んだことで、日本はアジアで唯一、時代の先端に追いつけた。一方で、旧体制のまま、時代に追いつけなかった東洋諸国は次々に西欧の植民地となった。

無意味な旧習や偏狭なナショナリズムに囚われれば、世界的な時代の流れについていけず国力の低下にもつながりかねない。発展のために何が大切なのかを判断し、必要に応じて旧習を捨て、尽力する精神こそ我々が近代を生きた先人から受け継ぐものではなかろうか。