論考-005 ソロモン諸島を訪問して(ピジン語、そしてオイディプス三角形)

ガダルカナルの戦跡訪問を目的に、ソロモン諸島を訪問した。

ソロモン諸島でもそれなりに英語は通じるなと思っていたら、ソロモン諸島ではクレオール言語である、ピジン語が盛んに使われているのだった。

英語の発音が、carryを「カリー」、museumを「ミシウム」の様に発音していて聴き取りづらかったことに加え、街頭の広告も全て英語かと思いきや、よく見るとhouseがhaus、telecomがtelekomと書いてあるなど、スペルの違いがややこしい。

どこまでがピジンと呼べるのかはわからないが、バヌアツでもnightをnite、storeをstoa、waterをwotaなどと表記しているのが目立った。

 

クレオール言語のことは薄っすらとしか知らなかったので、この辺りの島々で盛んに使われていたのか、と感慨に浸っていた。

そして、バヌアツで名前だけ有名な「エロマンガ島」を横目に通り、この辺りのことについて色々考えていたら、行きにオイディプス(エディプス)の物語を下敷きにした村上春樹海辺のカフカ』を読んだためか、「グレゴリー・ベイトソンが研究していたのもこの辺りだったのかな」という疑問が頭に過ぎった。

 

結論から言うと、ベイトソンオセアニアの島民ではなく、バリ島民を研究しており、私はバリ島に2回行ったのに今まで全く以って認識していなかった。

 

高校の頃の愛読書ドゥルーズ=ガタリ千のプラトーの題名はベイトソンによるバリ島民の母子の性的な戯れの研究に由来していた。「プラトー」、すなわち「高原」とはベイトソンの打ち出した概念で、母が息子の性器をいじって興奮させるにも関わらず、クライマックスになるとそっぽを向くことで生まれる、頂点のない状態のことである。

千のプラトー』は『アンチ・オイディプス』の続編だが、言わずもがな『アンチ・オイディプス』の「オイディプス」ギリシャ神話の悲劇から名を取ったフロイトの概念である。

 

母に対する子の愛と、母をめぐるライバルとしての父というオイディプス三角形の構図はジャック・ラカンにも継承されていて、現実界象徴界想像界という概念は今日でも社会の事象を理解するのに役立つ。

母子の関係が裂かれたところに現れる父=ファルス的な象徴界の失墜は屢々指摘されているものである。セカイ系のはしりと言われるアニメ、「新世紀エヴァンゲリオンはオイディプス三角形の構造を露骨に出しているが、セカイ系と呼ばれる分野自体を東浩紀は「象徴界の失墜による想像界現実界の短絡」とした。

想像界現実界の短絡は安直に言ってみれば母子一体化の傾向なのだが、宮台真司氏も(氏に限ったことではないが)ラジオで女性の靴だったかを盗み、コレクションして捕まった男性について母子一体的な感覚から抜けられていないということを語っていたように記憶している。

 

直接、ソロモン諸島に関係することではないが、母親(という仮説が否定されていない人物)と性行為をする『海辺のカフカ』と、バリ島とほぼ同緯度の島がベイトソンを想起させ、そんなことを思い出させてくれた。

なんとなく思い立ったので、(分類のため、「論考」と銘打ってはいるが)メモ的に残しておく。

戦跡関係の話は気が向いたらまた書くが、ラバウル同様、戦争博物館は見物だった。